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帛紗さばきに想う

帛紗さばきは(草のさばき)お茶の稽古の中でも「基本中の基本」ですが、これは極めるのも人に教えるのも本当に難しと思います。
この帛紗さばきは流派によっても違うようですが、大日本茶道学会のそれはある面「行」や「真」よりも複雑です。「それなりのカタチ」にはそれなりになるのですが…。
例えば、本部研修で指摘された部分をその後の稽古で充分に練習して「変なクセ」をなおしたつもりでも、気にせずに一定時期を過ぎるとまたもとに戻ってしまったりもします。
また、その時の精神状態によっても上手にさばけたりそうでなかったりします。
その上“なつめを拭くとき”“茶杓を拭くとき”“お釜のふたを取るとき”“拝見の時になつめを拭くとき”など、それぞれに違いを持たせなければならないのですから「常に意識を持った修練」が必要だと思います。

帛紗さばきに限らずお茶の所作の中には一見「まどろっこしい所作」や「無駄な動きに見える所作」があります。
そして、それらがある面「障害」となって、お茶の道を遠くからしか見たことのない人にとっての「敷居の高さ」になっている感もあります。
しかし、その一見「無駄に見える動き」にもちゃんと意味があります。
先人たちが長い時間を、それこそ気が遠くなるほどの時間を掛けて練り上げ作り上げられた「知恵の結晶」が今のカタチです。

女性の場合、教えられたことはすぐにできても「何でこうなっているのだろう」と疑問に感じる人が少ないようです。
上でも述べたように「必ず意味がある」訳ですから、その意味に気づくか気づかないかで長い修行の間には大きな差が出てくると思います。
「一つひとつの意味」を理解してこそ、茶道を学ぶことの意味が深くなるんだと思います。

かくいう自分もその日によってまだまだムラがありますが、習うときも教えるとき「その時の最善を尽くす」姿勢だけは失わないよう心がけていきたいと思います。
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